「好きなこと=達成感」とは限らない

みなさま、こんにちは。

「何か面白いことないかなぁ~」
「今やってることは本当に自分が好きなことじゃないから…」
「好きだと思って始めたけど、やっぱり違ったみたい…」
「きっと自分に合っていることは他にあるはず!」

こんな風に思って毎日の暮らしに不満を抱いていませんか?

こういった不満感情は物事をある程度難なくこなせてしまういわゆる“器用貧乏”の人に多くみられます。

 

彼らが探し求めているのものはきっと、「達成感」や「満足感」「安心感」「幸福感」なのでしょうが、実はそれらの感情は苦労して努力してそれを乗り越えた時にこそ得られる感情なのです。

達成感:何かを成し遂げたときに起こる、充実感や喜び
満足感:満ち足りたという感じ
安心感:不安がなくなり、心が安らかな感じ
幸福感:心が満ち足りていること
(Goo辞書より引用)

つまり、あまり努力しなくてもそれなりにやってこなせる器用貧乏の人はこのような感情をなかなか得ることができないのです。

もっと言えば、それらの幸福感情は外界から得られるのではなくあなたの中(内界)にもともとあるものなのですが、器用貧乏の人たちはあたかもそれらは外の世界(他人からの評価)から得られるのだろうと誤解しています。

 

だからこそ、彼らはよくこう考えます。

「本当に好きなこと(やりたい事)じゃないから満足できないんだ…」

 

 

 

実は、私自身も若い頃ずっとそんな風に思っていました。

そして、仕事を変え、場所を変え、フラフラと彷徨っていました。

「本当に好きなことを見つけたら、きっと充実感が得られるはずだ」と信じて…。

 

 

でもそんな私が自分の考え方の歪みに気付かされたのは、旧友とのなんでもない会話からでした。

 

その友人はちょうどその頃自分の希望とは全く異なる部署に配属され、しかも周りはエリートばかり。
他の人が数時間でできる仕事も自分は徹夜でこなさないと追いつかない。
上司には「寝る暇があったらこの書類を読め!」といわれ、場違いなところに配属されてしまったともう心身ともにクタクタな状態でした。

 

そんな辛い状況の中でも彼は周りを責めるわけではなく「自分がダメだから仕方がない」とむしろ自分を責めていました。

 

正直、当時の私はそんな彼の愚痴を聞きながら「気が弱くてなんだか頼りないオトコだなぁ」と思っていました。

 

それでもせっかく電話してきてくれたのだからと、表面的に彼を労おうとしたのかもしれません。

「好きな仕事じゃないのに、頑張っててエライね~」と。

 

私が何気なくそんな言葉をかけた時、彼が言ったのです。

 

 

「う~ん…、でも好きな事じゃなくても必死でやった後には不思議と達成感があるんだよねぇ」

 

 

私はその言葉に打ちのめされました。

あの時の衝撃は今でもはっきりと覚えています。

 

 

「あ~、これこそ謙虚な人間が発する言葉だ…」と、これまでの自分が急に恥ずかしく思えました。

 

そしてその後、自分の傲慢さが恥ずかしくて何日も独りで引きこもったのを覚えています。

 

それからの私は、もう「好きなこと」を探し求めて無駄に彷徨うことはなくなりました。

 

今でも自分に何か不満が生じた時は彼のように、謙虚な姿勢でまずは目の前にある与えられたことを一生懸命やってみよう” と自分に言い聞かせるようにしています。

 

 

人はそう簡単に変われるものではありませんが、自分がそうありたい、と強く願って努力し続ければ気が付かないうちに変化していると私は思います。

 

ということで、今日はどこか虚しさを感じていらっしゃる器用貧乏のみなさまに、

必ずしも「好きな事=達成感」ではなく、時には「嫌いな事+一生懸命=達成感」という式が成り立つ時もあるということを知っていただきたいなぁ…と思って今日の記事を書いてみました^^

 

 

ちなみにその友人には、それからしばらく経った後で「あの時はありがとうね!」とお礼を言ったら、「なんのこと???」とキョトンとしていました(笑)

それどころか逆に、「オレの方こそ愚痴を聞いてもらって救われたよ。」と言ってくれました。

本当にあきれるほど謙虚な人です。私はそんな彼をこころから尊敬しています^^

 

 

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※ この記事は旧ブログから再掲載しています。

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